落語「初天神」の舞台を歩く
 

  
 柳家小三治の噺「初天神」によると、
 

 初天神にお詣りに行くからと、羽織を出させて出かけようとするところに、金坊が帰ってくる。金坊はどこかに連れ出すと、必ず「あれ買え、これ買え」と、うるさいので連れていきたくないと言うが、金坊は男の約束だからと言い、女房は連れていけというので、やむをえず連れ出す。
 道々、金坊は親をやりこめるような生意気をさんざん言いながら歩いていくと、境内も近づき屋台も増えてくる。「お父さん、買ってくれと今まで言わなかったから・・・、ご褒美だから・・・、何か買ってくれ」と、せがみ出す。「蜜柑は酸っぱいから毒だ、林檎も酸っぱいから毒だ、柿は冷えるから毒だ、バナナは高いから毒だ。」と、やり過ごす。
 続けて「飴を買ってくれ」とせがみだす。飴屋は無いというと、後ろにあると言い、根負けして買うことにする。舐めながら歩いていくと、水溜まりがあるからと背中をたたくと、泣き出して飴は落としたという。腹の中に。だから、団子を買ってくれと言う。泣きながら大声で迫るので、いやいや蜜付きの団子を買う。
 蜜の付いたのは着物を汚すので、蜜をみんな舐めると金坊はそんなの嫌だと言いだし、蜜壺に舐めた団子をジャボン。金坊もまた舐めて、その団子をまたドボン。
 食べ終わった金坊、今度は凧を買えと凄む。「だから連れて来たくなかったんダ」。 金坊は看板ものの大凧を買えと言うので根負けして、帰りの一杯の楽しみの銭で、糸まで付けて買い込む。親子で凧揚げを始めるが、あまりにも面白いので、親が夢中になって金坊に糸を渡さない。「こういうものは子供のする事ではない」と、取り合わない。金坊「こんな事なら、親父を連れて来るんじゃなかった」 。

 


1.湯島天神(文京区湯島3-30-1)
 
正式には「湯島天満宮」という。祭神は天乃手力雄命(あめのたぢからをのみこと)と、菅原道真公を祀る。雄略天皇の勅命により、御宇2年(458)創建と伝えられ、天乃手力雄命を奉斎したのがはじまるで、降って正平10年(1355)2月菅公の偉徳を慕い、文道の太祖と崇め本社に勧進しあわせて奉祀し、文明10年(1478)10月太田道灌これを再建した。元禄16年(1703)の火災で全焼し、宝暦元年(1707)再建したが、平成7年老巧化のため総檜の新社殿が建立された。(湯島天神記より)
 学問の神様として有名で、各地から入学願いの絵馬掛けをしに来る。入試、進学などの御利益があるとされる。
 円楽の一番弟子、三遊亭鳳楽はここの社務所で独演会を開いている。

図版;名所江戸百景より「湯しま天神坂上眺望」 広重画 
雪の湯島天神男坂からの上野不忍池を俯瞰する。池の中央に弁天堂があります。
 

2.初天神(初天神祭)
 その年最初の天満宮の縁日。毎年1月25日に行われる。初詣についで重要な1月の祭事である。
 近世の縁日は、毎月10,25日で、境内とその界隈は江戸有数の盛り場で、宮芝居や植木市、各地の出開帳があり、江戸町人の憩いの場として繁盛した。”おめかし”して出掛けた金坊親子もこの中の1人であった。
 

3.うそ替神事
 うそ替えの”うそ”とは鳥の”鷽”(うそ)のことで、正直の反対語、嘘とは違います。 鷽とはスズメ目アトリ科の鳥。スズメよりやや大きく、頭上と尾・翼の大部は黒色、背は青灰色。雄の頬・喉は深紅色、雌には紅色部がない。俗に、雄をテリウソ、雌をアメウソと呼ぶ。山地の樹林にすみ、鳴き声は口笛に似て悲調を帯び、飼養されることが多い。ヨーロッパ・アジアの北部に分布。日本では北海道から九州まで生息する。(広辞苑より)

 ■鷽替(うそかえ)とは、
郷土玩具のひとつで、鷽替の神事に用いる縁起物で木彫りの鳥の人形。太宰府・大阪・東京亀戸などの天満宮で、参詣人が木製の鷽を互いに交換し、神主から別のを受ける神事。金製の鷽を換え当てた者は好運を得るとされる。太宰府は正月7日夜の酉(トリ=18時)の刻に行う。亀戸は正月 24日昼から25日。

写真はクリックすると大きくなります。亀戸天神にて05.1.25撮影
 

4.菅原道真
 承和12年(845)生まれる。42才の時讃岐守として四国に赴任、農耕、畜産に尽力しその手腕を認められ、宇多天皇の信任を得、しだいに重用され位階も昇進の一途をたどり、寛平9年(897)に醍醐天皇が即位し、益々信任あつく、昌泰2年(899、55才)左大臣藤原時平と並んで、右大臣兼右近衛大臣に任ぜられ、ついで同4年正月には従二位になる。しかし、時平の中傷によって太宰権師に左遷される。この時の歌『東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ』は、あまりにも有名である。3月に太宰府に着任し、延喜3年(903)2月25日、59才で当地で亡くなる。(湯島天神記より)


5.原話
 息子が凧を揚げるに、あがらず。親父出でて、「どれどれ、おれがあげつけてやらふ。向こふの河岸へ持ってこい」とて、小ぞうを連れゆき、一ト駆け走ると、よくあがる。親父おもしろがり、引いたりしやくつたりして、余念なし。「これ、父さん。もふおれにくんねいよ」とせつけば、「ヱヽやかましい。われを連れてこねばよかつたもの」。
 「夜明茶飲噺」(よあかしちゃのみばなし)より”凧” 安永5年(1776)刊 鳥居清経画
2012.10.追記


  湯島天神を歩く
 

 初天神は毎年1月25日に行われる。

 上野広小路から繁華街を抜けて湯島の坂、切り通しを上がると左手に湯島天神がある。各地の天神社は菅原道真公が亡くなってから1100年が経つところから、2003年に大がかりな千百年大祭が執り行われる。これに先立ち、この湯島天神も本殿は改修され、各所に手が入り、煌びやかさを増している。
 他の神社の参拝客は高齢者が目立つが、ここは若い人達で賑わっている。しかし金坊のような悪ガキは見あたらない。

 この湯島天神の北側には国立東京大学。通称東大。
 北東には不忍池、それを含めて上野公園が続く。この上野公園の中に「時蕎麦」で紹介した、時の鐘がある。犬を連れた西郷隆盛の銅像もここにある。
 また東は今来た道で、坂を下りたところが、黒門町(今の上野1丁目)。どこかで聞いた名前の街。そうです、前回の噺「富久」の八代目桂文楽が住んでいた所で、落語の大師匠は住んでいる地名で呼ばれることが多かった。文楽は”黒門町”、円生は”柏木”(西新宿)、彦六の正蔵は”稲荷町”と呼ばれた。林家三平は”根岸”と呼ばれる前に?亡くなった。
 南は元、湯島三組町と呼ばれた所で名前からも分かるとおり、色っぽい所であった。今はラブホテルが建ち並んでいる。学生達は湯島天神から坂を下り、真っ直ぐ帰るが、若き社会人の二人は参拝後南に道を取り、御利益にあずかっている? その先の交差する坂道が「妻恋坂」、良い響きのある名前の坂道ではある。
 

地図

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写真

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本堂
 平成7年に建立された、新社殿は本殿と参拝する人のための拝殿が幣殿で結ばれている「権現造り」の建築様式で日本古来の「木の文化」を象徴する純木造で、建材は樹齢250年の木曽桧が使用された。

大鳥居
 社前の銅製大鳥居は寛文7年(1667)創建で、東京都の指定文化財になっている。
 天神さまは学問の神様で、入試の願掛けに若い子達が沢山訪れる。絵馬を掛けてお願いする様は、現代っ子でも同じなのであろう。また、道真公に因み梅の花は素晴らしい。

瓦斯燈
 ガス灯は文明開化のシンボルで、明治時代を象徴するものであった。明治5年(1872)開港地横浜に点灯されたのが最初で東京には同7年金杉橋京橋間に85基が設置された。また、この境内にも5基が設置されたが、最後の1基が昭和40年に撤去されたが、同56年に再建された。屋外のもので都内にはここだけである。この1基は昼間から点灯されていたが、電気の明るさから比べれば頼りないが、ノスタルジーを感じさせる。

うそ替え
 初天神の日、毎年1月25日に行われる。
鳥の”鷽”(うそ)から転じて、1年間の悪事、災いをウソになるようにと、鷽を形取った人形に託して、吉になるよう祈願した。
毎年小さいのから大きなものに買い換えていくとイイと言われている。

                                                        2001年1月記

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