土蔵相模

「土蔵相模」のあった跡。今はローヤルガーデン品川というマンションになっている。

「品川遊廓跡」東京おもかげ画帖より  昭和40年(1965)2月、酒井不二雄画。
右側の「さがみホテル」が売春禁止法が施行された後の土蔵相模です。 2011.10.追記

 

昭和はじめの「相模楼」。土蔵作りの外壁のため「土蔵相模」と呼ばれた。
(秋山勝三著「品川宿遊里三代」青蛙房から)

 文久2年(1862)品川御殿山のイギリス公使館の建設に際し、攘夷論者の高杉晋作、久坂玄瑞らは、この土蔵相模で密議をこらし、12月12日の夜半、公使館を全焼させた。その時、泊まったのがここです。

 

土蔵相模の花魁。(品川区教育委員会より)

 

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